アーチェリー女子団体で抜群の集中力を発揮し、銅メダル獲得に貢献した早川漣選手(24)=長崎・佐世保商高職=が、
かつての母国・韓国と並んだ表彰台で爽やかな笑顔を見せた。
日本と縁を持ったのは、母親が日本人と再婚したため。選手だった姉の浪さん(27)に続く形で2007年に来日し、
2年後に日本国籍を取得した。
当初は電子辞書が手放せず、言葉の壁から寂しさを覚えた。だが、「毎週のようにカラオケに行った」という大学生活で
友達を増やすと同時に、日本に来てアーチェリーでも「再発見」することになる。
韓国は今大会で五輪7連覇を果たしたアーチェリー王国。早川選手も小学3年から始め、練習漬けの日々だった。
結果ばかりを求められ、「負けた時に顔を殴られたこともあった」。
実業団に進んだが、そんな取り組み方に疑問を持った早川選手は、アーチェリーをやめてしまう。「解放されたいと思った」。
競技から離れた空白期間は1年に及んだという。
しかし、日本で再開したアーチェリーはこれまでと全く違っていた。「日本は好きだからやっている、だから楽しい」。
自分を苦しめてきた競技だったが、「負けても勝っても、自分のためにやっている気がする」と感じるようになれた。
日本代表として初めて出場した国際大会で、韓国人選手から韓国語の陰口を聞こえるように言われ、泣いたことも。
浪さんに「もう嫌だ」と漏らすと、「そういう人たちは人間が小さいから、オリンピックに出たらそんなことはない」と励まされた。
心理面に左右される競技だけに懸念する声もあったが、日本選手団の関係者は「今大会で韓国側にそうした動きはなかった」と話す。
表彰式後の記者会見で、準決勝で敗れた韓国との差を問われた早川選手は冷静に語った。「頑張ってもっとアーチェリーを
知ってもらい、小学生から良い選手が育っていけば、韓国にも他の国にも負けない」
http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=201207300032...
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